空の巣をまもっています

帰ってきたときに、いつでも、いつもの”おかえり”を言いたくて

告知と延命

先日、一時帰宅している夫と
死に至る病気について話しました


夫の友人が、
病気と余命の告知を受けたとのこと
スポーツマンで、
病気とは縁のないタイプの方で
おかしいな、と思って病院に行った時は
手遅れだったそうです


姑はピンピンコロリの突然死でした
わたし達は
最期まで食べたいものを食べ、
自分の足で歩き、
誰の手も借りずに元気なまま逝ったのだから
本人は幸せだったかもしれない、と話し
慰め合ったのですが
本人はどう思って逝ったのかはわかりません


不健康な時期を長く過ごすのか
ある程度直前まで元気で
自分の期限を知るのか
ある日突然に逝ってしまうのか
誰も自分の死を選べません


余命の告知をしてほしいかどうか
自分の命の期限を知ること
それに耐えられるかどうか


延命できる病気だったとして
例えば胃ろうとかで無理に延命できる場合は
どうしたいか
家族はきっと、例え寝たきりでも
いつまでも生きていてほしい。と
思うかもしれないけど
自分はどうなのか


重い問題だよね


今は当事者ではないから
自分たちの冷静な時の希望として
お互いに
病気や余命の告知はしてほしい
クオリティを阻害する延命はしないでほしい


という結論になりました
死に至る病は近いのか遠いのか
わかりませんが
お互いに本人の意向を尊重して
その時に臨みたいと思います