空の巣をまもっています

帰ってきたときに、いつでも、いつもの”おかえり”を言いたくて

嫌われる勇気について息子と議論した

有名なアドラーの解説著書「嫌われる勇気」について
珍しく酔っ払って帰宅した息子と
なぜか議論することになりました


わたしはその本を読むのにとても苦労しました
全然理解できなかったのです
何度も同じページを読み返して
とても時間がかかりました


しかし息子は
すんなり読めたとのことでした


わたしにとっては
何であの難しい本をすんなり読めるってどういうこと?
その考えを実践するのはかなりの努力が必要です


息子にとっては
あんなに平易に書いてあるのに
難しいと感じるなんて理解できない


という感じ
そして
内容というかアドラーさんの言いたいことは何か
という話になって


わたしは「嫌われる勇気」の心理学はドライで冷めていると表現したのですが
(否定するわけではなくて、その特性は良いと思っているのですが)
彼は
「認めている」のだから全然ドライじゃないよ
むしろ「熱い」感情は
自己中心的で相手を「認めていない」裏返しだと表現しました


完全に
わたしが理解不足です


わたしなりに分析すると
息子の世代(Z世代)が生きている多様な社会は
アドラーの考え方がマッチしているのでは?
わたしの世代(ガチ昭和バブリー)の
ある意味集団的社会だった頃とは
基本的な価値観が現代と異なっているのではないかな?
その考えにガッツリ染まっているわたし(昭和世代)
だからアドラー心理学が難しく感じるのでは?
と思いました


「みんなちがってみんないい」(金子すずさん)
そういう世の中に近づいているのかもしれません
それは良いことだけではないかもしれません
けれど素晴らしいことは確かです


老兵は去るのみ
しみじみとそう感じました